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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)12440号 判決

原告 岩崎とよ

〈ほか三名〉

右四名訴訟代理人弁護士 松本義信

被告 古口巌

右訴訟代理人弁護士 川崎剛

被告 加藤信夫

被告 日本通運株式会社

右代表者代表取締役 福島敏行

右二名訴訟代理人弁護士 輿石睦

同 渡辺武彦

同 松沢与市

右被告ら二名訴訟復代理人弁護士 藤内博

主文

一、被告古口巌は原告岩崎とよに対し金二二八万九二四一円、同岩崎千鶴子、同岩崎由美子、同岩崎健に対し各金一三〇万九四九四円および右各金員に対する昭和四一年一二月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二、原告らの被告古口巌に対するその余の請求および被告加藤信夫、同日本通運株式会社に対する請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用中、原告らと被告古口巌との間に生じたものはこれを二分し、その一を被告古口巌の負担とし、その余を原告らの負担とし、原告らと被告加藤信夫、同日本通運株式会社との間に生じたものは原告らの負担とする。

四、この判決は原告ら勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

一、原告ら――「被告らは各自原告岩崎とよ(以下原告とよという。)に対し四二四万五〇〇〇円、原告岩崎千鶴子、同岩崎由美子、同岩崎健(以下順次原告千鶴子、同由美子、同健という。)に対し各二四九万五〇〇〇円および右各金員に対する昭和四一年一二月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言

二、被告ら――「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決

第二請求原因

一、(事故の発生)

昭和四一年三月一〇日午後九時五五分頃、訴外岩崎耕三(以下耕三という。)は、被告古口巌(以下被告古口という。)運転の原動機付第二種自動車(品川区ま二〇一八号、以下甲車という。)の後部座席に同乗して東京都大田区東蒲田二丁目七番地先京浜第一国道の交差点にさしかかった際、被告加藤信夫(以下被告加藤という。)運転のトレーラー車(牽引車=静一う二〇〇二号、被牽引車=静一う二〇〇三号、以下乙車という。)と甲車とが衝突し、耕三は路上に転倒し、同月一二日午前零時一五分死亡するに至った。

二、(被告古口の過失)

事故現場付近の道路は交通量が多いのであるから、自動車運転者たる者は自車の前後左右に意を払い、追越車等のある場合には同車の動静に注意すべき義務があるにもかかわらず、被告古口は前後左右の注視義務に違反し、乙車の追越しの際の追突の危険に対し何らの措置を講ぜず、漫然進行した過失により本件事故を惹起した。

三、(被告加藤の過失)

自動車運転者たる者は、先行車を追い越す場合には、先行車の動静に注意し、追突、接触等の事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのに、被告加藤は、甲車の左側からこれを追い越そうとして誤って乙車の前部を甲車に追突させた過失により本件事故を惹起させた。

四、(被告会社の地位)

被告日本通運株式会社(以下被告会社という。)は乙車を所有し、これを自己のために運行の用に供する者であった。

五、(損害)

(一)  耕三の失った得べかりし利益

1 給与 七一三万七五四三円

耕三は大正一一年六月二一日生まれの当時四三才の健康な男子であり、昭和二一年以後一貫して郵便局に勤務し、死亡当時一か年七九万二八八一円の収入を得ていたが、郵便局の職員が慣例により退職勧告を受ける満五八才までの一五年間は少なくとも郵便事務官として勤務できた筈のところ、同人の生活費は一か年一四万二八八一円程度であるから同人の一か年間の純収入は六五万円となる。右金額を基礎にして同人が今後得たであろう一五年間の純収入の死亡時における現価をホフマン式(複式年別)計算法により年五分の中間利息を控除して算出すると七一三万七五四三円となり、同人は同額の損害を蒙ったことになる。

2 退職金 一六〇万五九一五円

耕三が満五八才で退職勧告を受けて退職したとすれば、その勤続年数は三六か年となり、退職時である昭和五六年六月には四三五万四三五〇円の退職金を受領しうるところ、右退職金の死亡時における現価をホフマン式(単式)計算法により年五分の中間利息を控除して算出すると二四八万八二〇〇円となるが、同人は東京中央郵便局からその死亡に伴い退職手当金八八万二二八五円の支給を受けたので、これを控除すると一六〇万五九一五円となり、同人は同額の損害を蒙ったことになる。

(二)  原告らの相続と保険金の受領および充当

原告らは耕三の死亡に伴い同人の相続人としてそれぞれの相続分に応じて、原告とよが右合計額の三分の一を、その余の原告らは各その九分の二の損害賠償請求権を承継取得したが、原告らはその後昭和四一年一二月二三日自賠責保険金二〇〇万円をその相続分に応じて取得したので、結局原告とよは二二四万七八一九円、その余の原告らは各一四九万八五四六円の損害賠償請求権を有することとなる。

(三)  原告らの慰藉料

1 原告とよ     二〇〇万円

2 その余の原告ら 各一〇〇万円

六、(結論)

よって被告古口、同加藤に対しては民法七〇九条により、被告会社に対しては自賠法三条により、原告とよは以上合計四二四万七八一九円のうち四二四万五〇〇〇円、その余の原告ら三名は各以上合計二四九万八五四六円のうち二四九万五〇〇〇円および右各金員に対する本件訴状送達の翌日である昭和四一年一二月二九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三請求原因に対する被告らの答弁

一、請求原因第一項に対して

被告ら――認める。

二、同第二項に対して

被告古口――被告古口に過失があったとの点は否認する。すなわち、被告古口は事故現場付近にさしかかった際、信号機が赤を現示していたので第一通行帯上で一旦停車した。まもなく青信号となり発進したところ、先行車が左折の信号を出したので、徐行する同車の右側に甲車をすすめたが、その車が速度を速めて先に進行して行き、その車の後続車である小型貨物兼用車が甲車の左側から甲車を追い抜いて直進して行った。ところがそのとき甲車の左後方すなわち第一および第二通行帯を急進してきた乙車が甲車の左側ハンドルすれすれに接近してきて、被告古口が危険を感じた瞬間、甲車の後部で「ゴツン」という音がすると同時に後部座席にいた耕三の頭が被告古口のヘルメットの後部にあたった。甲車は荷台部分に乙車の後輪部分を接触され運転操作不能となり停車中の丙車に接触の後、路上に転倒した。耕三の死因は乙車との接触にあり、被告古口には何らの過失もない。

三、同第三項に対して

被告加藤――否認する。乙車が原告ら主張の交差点に進入していたところ、被告古口が甲車を運転進行中、同交差点中央付近において右折のため信号待ちしていた訴外川口博範運転の普通乗用自動車(品五い二一二五号、以下丙車という。)の左側面に甲車を衝突させた反動で平衝を失い、更に乙車の被牽引車の進行方向右側の後部車輪の中央部に衝突させたため、甲車は転倒し、耕三を負傷させるに至ったものである。以上のような次第であって、被告加藤は乙車を運転して第二通行帯を走行しており(乙車のような大型車の通行帯は第二通行帯とされている。)、またその速度は制限速度内の時速四五粁であり、しかも信号に従って走行していたのであり、被告加藤には本件事故発生について何らの過失もない。

四、同第四項に対して

被告会社――認める。

五、同第五項に対して

被告古口――原告らの身分関係は認め、その余は否認する。

その余の被告ら――否認する。

第四被告会社の免責の抗弁

一、運転者被告加藤の無過失

この点については、被告加藤が請求原因第三項に対し答弁したとおりであるのでここに引用する。

二、第三者被告古口の過失

被告古口は少なくとも四合位の酒を飲み酒酔いの状態で運転しており、また第一京浜国道の事故現場付近には通行区分帯が設けられていたのであるから、原動機付自転車としては第一通行帯を走行すべきであったのに、高速車の通行帯である第三通行帯を走行しており、そのことが本件事故の原因ともなったのであって、被告古口の過失こそ本件事故の主因である。

三、運行供用者被告会社の無過失

被告会社は乙車の運行に関し注意を怠らなかった。

四、機能、構造上の無欠陥

乙車には機能の障害も構造上の欠陥もなかった。

第五抗弁に対する原告らの認否

被告古口の過失の点を除きいずれも否認する。

第六証拠≪省略≫

理由

一、(本件事故発生の態様)

請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

本件の最大の争点は甲車と乙車ないし丙車との接触がいかなる経過を辿って発生したかにあるので、まずこの点から判断してゆく。

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる(≪証拠判断省略≫)。

(一)  本件事故現場の状況

本件事故現場は、南北に走る国道一五号線通称第一京浜国道(以下本件道路という。)と東方五・四米、西方は六・九五米の道路とが直角に交わる通称キネマ交差点(以下本件交差点という。)である。本件道路は北は大森方面に南は川崎方面に走る全幅員二一・五米の歩車道の区別のある道路で、車道幅員は一四・五米、その両側にはそれぞれ三・五米の歩道があり、片側三車線で、第一通行帯は一・五米、第二、三通行帯は各二・九五米となっていて、通行帯の区分は白色ペイントで表示されている。また、本件交差点の大森寄りには幅員四・四米の横断歩道が白色ペイントで表示され、交差点四方には自動信号機が設置されている。右横断歩道近くには三〇〇ワットの水銀灯が設置され、夜間は比較的明かるいところであった。現場付近における本件道路の制限速度は甲車、乙車に関しては時速五〇粁と指定されている。

(二)  甲車の状況

被告古口は、事故当日午後六時半頃勤務を終え、職場の慰労会で七時二〇分頃までの間に一合位飲酒し、更にその後酒場で一本七勺入りの徳利を二本飲んでから、甲車を運転して約二五ないし三〇分かかって一旦帰宅したが、創価学会の会合に出席のため午後九時頃耕三方を訪ね、同人を後部座席に同乗させて目的地に向かった。大森方面から川崎方面に向けて本件道路を南進し、事故現場に近づいた頃には甲車は時速四〇ないし四五粁の速度で第三通行帯を走行していた(いつの間に第一通行帯から第三通行帯に入るようになったかについては被告古口自身記憶がさだかでない旨供述しており、心証を得ることができない)。

その頃後記認定のように乙車が第二通行帯を甲車と余り変らぬ時速約四〇ないし四五粁の速度で甲車と同方向に進行中であり、甲車は乙車の後部右側にかかるかかからないかのあたりを走行していたが、被告古口は甲車が急に右側に寄ってくるような錯覚に陥いりハンドルを右に切ったので、右折のために停車していた丙車の後部左側面に甲車のハンドルの右端部分を接触させた。その衝撃で甲車は左側方に滑走し、甲車後部荷台部分が、併進中の乙車の右後部車輪付近の凹部に入ったため甲車は前方に押し出された。そのため甲車は一回転しつつその車体を両車の左前輪に激突させた後丙車の左前方に転倒し、耕三も路上に投げ出され、その際の頭蓋底骨折のため昭和四一年三月一二日午前零時一五分死亡するに至った。ちなみに甲車はその前輪を丙車の左前輪にほとんどくっつく位に、後輪を丙車の前ハンパーの左横あたりにして転倒していたものである。

事故後の甲車の破損状況は、後部荷台(荷台水平面は地上六六糎である。)の後方中央部がくの字形に、水平位置から一五糎上方に曲がり、右方にも曲がっていた。くの字形中央に白色ペイントが付着しており、ハンドル右側のクラッチレバーは取付部分が破損し、前照灯ライトのガラスが破損し、ハンドル右側端の握り部分に米粒大の擦過痕があった。

なお、被告古口は、同日午後一〇時三〇分酒気帯び検査を受けた際、呼気一リットル中一・〇ミリグラムのアルコール分を保有したため、「酒気強く身体ふらつく」との外観による判定を受けており、酔いの程度も空腹時における飲酒のためか相当強いものであった。

(三)  乙車の状況

乙車の全長は一六・八五米で、牽引車の車幅は二・三五米、被牽引車の車幅は二・五米である。被告加藤は乙車を運転して仙台から浜松に帰る途中、本件道路の第二通行帯を時速約四〇ないし四五粁の速度で南進し、本件事故現場にさしかかった。その際本件交差点の信号機は青を現示していたのでそのままの速度で交差点に進入しようとしたが、その直前被告加藤は右前方に右折の合図をして停車中の丙車を発見し、これと同時に、乙車のバックミラー内に甲車のライトが一つ写っているのも発見した(被告加藤本人の供述によれば、この時の甲車の位置は乙車の後部右側にかかるかかからないかのあたりであったと認められる)。当時第一通行帯には車両は見あたらなかった。そして乙車は丙車の横を通過し、乙車の前輪が川崎寄りの横断歩道あたりまで進行した時(大森寄りの横断歩道と川崎寄りの横断歩道との間隔は一四・八米である。)、ショックを車体に感じ、その直後バックミラーを見たところ、前記状態で転倒している甲車を発見した。

乙車の破損状況は、乙車の被牽引車後部の両車輪の間に垂れ下っている側板の車体右側部分の地上六〇ないし七〇糎の箇所の白い塗料が直径二糎程はげ中心部分に傷がついていた。その外にはどこにも異常は認められなかった。

(四)  丙車の状況

訴外川口博範は、丙車を運転してやはり本件道路を南進してきたが、本件交差点において蒲田駅の方に右折するため一時停止した。その位置は、丙車の車体右側が中央線に接し、車体の前後の中心が大森寄りの横断歩道の交差点側の白線上にくるような地点であった。訴外川口は右折の合図をしながら対向車の切れるのを待っていたが、停車後二呼吸位した際、左側を通過する甲車を視野左端の黒い大きな物体として知覚し、それが自車の左方を先の方に出たと認めた瞬間、甲車に衝突され、自車の車体が左によじれるようなかなり強い衝撃を感じた。

丙車の破損状況は、車体左側テールランプの手前から後部ドアーにかけて地上約一米の高さに長さ一・五米位のうすい直線状の傷がついていた。これは前記甲車のハンドルの右端との接触によって生じたものと認められる。

二、(被告らの責任)

(一)  被告古口

被告古口は飲酒の上、甲車が第二種原動機付自転車であるにもかかわらず第三通行帯を走行し、前後左右への注視義務を怠ったため、乙車が急に右に寄ってきたように錯覚しあわてて甲車のハンドルを右に切ったため、右前方に停車中の丙車に甲車を衝突させ本件事故を惹起したのであって、同人の過失は明白である。

被告古口は、本件事故は乙車が右に寄ってきて甲車の後部に追突したために発生したものであると主張するけれども、当裁判所の認定した本件事故発生の態様は前項のとおりである。たしかに≪証拠省略≫には、歩道から乙車の右側面までの距離が大森方面よりの横断歩道の北方約四米の地点では三・八米であるのに対し、右横断歩道(幅員四・四米)の南方〇・七米にあたる第二の衝突地点(すなわち乙車右側面)では、歩道までの距離が四・七米と記載され、この間〇・九米右に寄ったかの観があるけれども、これは≪証拠省略≫によっても明らかなように、一つには、道路の歩道部分の角が「隅切」となり丸くなっていることに、二つには、右四・七米との測定値は、第一の衝突地点への測定値同様、電柱を基点として測られたものであったのを図面への記載にあたり歩道縁石面までのように誤って表示したことに、起因するものと考えられる。前項認定のとおり乙車は全長一六・八五米の大型車のことでもあり、仮りに乙車が右に寄ったためにこれだけの差が生じたものとすれば、右二つの測定地点が約九米(四米プラス四・四米プラス〇・七米)の近距離であることから見て、乙車の先頭部分はおそらく本件道路の中央線付近まで右に転回していなければならなかったはずであるが、そのような事実は何も認められず(むしろ前項所掲の各証拠によれば乙車は第二通行帯内に停車したと認められる。)。また乙車は仙台から浜松に向けて帰還途中のことでもあり本件交差点で右、左折する必要はなく、また第一通行帯には当時他の車両は存在しなかったのであるから、その点からも、乙車として右に寄るべき理由はなかったといわなければならない。

また同被告は、耕三の死因である頭蓋底骨折は路上に転倒したために発生したものではなく、乙車との接触の際発生したものであると主張している。当裁判所は右骨折は路上転倒により発生したものと認定するのであるが、仮りに乙車との接触により頭蓋底骨折が発生したとしても、そもそも被告古口の過失により甲車と乙車との接触が惹起されたのである以上、耕三の死につき責任を免がれることはできないというべきである。

従って、被告古口は、直接の不法行為者として民法七〇九条により、原告らの蒙った後記損害を賠償する責任がある。

(二)  被告加藤

被告加藤は既に認定したように第二通行帯を適法に直進していたものと認められるので、本件事故発生につき責められるべき過失は存しない。ただ一点乙車の走行位置と丙車の停止位置とから判断すると、両車の間には多くとも約一米位の間隔しかなかったはずであるので、同被告としては、バックミラー内に甲車を発見すると同時にこの間隔を広げてやり甲車を無事通過させてやれなかったかとの疑念も生まれなくはないが、仮りに発見の瞬間ただちにハンドルを左に切っていたとしても、前記乙車の車長からは、甲車が乙車と丙車との間に入る前に、乙車後尾を十分左に寄せることは不可能であったと見るのが相当である。従って本件事故は、ひとえに被告古口の無謀運転によるものと断ぜざるを得ず、被告加藤には賠償責任はない。

(三)  被告会社

被告会社が乙車を所有しこれを自己のために運行の用に供する者であったことは当該当事者間に争いがないので、免責の抗弁について判断する。

運転者たる被告加藤が無過失であり、第三者被告古口に過失があったことは既に認定したとおりであり、被告加藤信夫本人尋問の結果によれば、運行供用者たる被告会社は乙車の運行に関し注意を怠らず、乙車には機能の障害も構造上の欠陥もなかったことが認められる。よって免責の抗弁は理由があり、被告会社は自賠法三条の賠償責任を負わない。

三、(過失相殺)

被告古口は単に自己の無過失を主張するのみで、自己の責任が肯定される場合、同乗者耕三の過失が考慮されるべきことについては必ずしも明示的に主張するところはないのであるが、弁論の全趣旨により予備的に過失相殺の抗弁がなされたものとして、耕三の過失の有無を判断することとする。

≪証拠省略≫によれば、被告古口が耕三方を訪問した際、耕三は被告古口が飲酒して相当酩酊しているのをみて、甲車に同乗するのをためらっていたけれども、被告古口の勧誘を断わりきれず、甲車の後部に同乗したことが認められる(≪証拠判断省略≫)。

本件事故の最大の原因は、甲車を運転した被告古口の酩酊による注意力散漫にあるのである。耕三としては被告古口に同乗を誘われたとき頑としてこれを断わるべきであったし、また一旦同乗したとしても、既にその酩酊を知る者として、途上あぶなげな運転動作を発見した場合ただちに同被告の運転をやめさせるべきであった。しかるに、耕三は何らそのような行為に出ることなしに、第三通行帯を走行する甲車に同乗を続けていたため、事故により路上に転倒するに至ったのであって、この点同人にも過失があったといわざるを得ず、その事故発生につき寄与した割合は三割と見るのが相当である。

四、(損害)

(一)  耕三の失った得べかりし利益

1  給与

≪証拠省略≫によれば、耕三は大正一一年六月二一日生まれの当時四三才の健康な男子であり、昭和二一年以後一貫して郵便局に勤務し、死亡当時一か年七九万二八八一円の収入を得ていたこと、郵便局の職員は慣例によれば満五八才になったとき退職勧告を受けるのであるが、同人も同程度まで過去の経歴に照らし郵便局に勤務したであろうこと等が認められ、また同人の生活費としては原告らの自陳額一か年一四万二八八一円を超えると認めるに足る証拠もないので右額を生活費と見ることとし、結局同人の一か年間の純収入は六五万円となる。右金額を基礎にして同人が今後一五年間に得たであろう純収入の死亡時における現価をホフマン式(複式年別)計算法により年五分の中間利息を控除して算出すると、七一三万円(一万円未満切捨て)となる。

2  退職金

≪証拠省略≫によれば、耕三が順調に昇給を続けてゆき、昭和五六年六月満五八才に達して退職勧告を受け、退職したとすれば、その勤続年数は三六年となり、退職金として四三五万四三五〇円を受領しうることが認められるが、同人の健康状態、従前の経歴から推して、本件事故がなかったとすれば同人は退職金として同程度のものを受領しえたであろうと推認される。右退職金の死亡時における現価をホフマン式(単式)計算法により年五分の中間利息を控除して算出すると、二四八万円(一万円未満切捨て)となる。従って右1・2の合計額九六一万円の損害を耕三は蒙ったことになるところ、前示耕三の過失を斟酌し、賠償を求める損害額としては、六七五万円が相当である。

(二)  原告らの相続と退職金、保険金の受領および充当

原告とよが耕三の妻であり、原告千鶴子、同由美子、同健が耕三の子であることは当該当事者間に争いがなく、前出戸籍謄本によれば他に子がいないことが認められる。従って、原告とよは前記逸失利益の損害賠償請求権六七五万円の三分の一にあたる二二五万円を、その余の原告らはその各九分の二にあたる一五〇万円を、それぞれ相続により取得したことになる。しかるに原告らは退職手当金八八万二二八五円および自賠責保険金二〇〇万円を各その相続分に応じて取得し、それぞれ充当したことを自陳し、被告古口はこれを明らかに争わずこれを援用したものとみなすべきであるので、右金員を前記各相続金額から控除すると、残額は、原告とよにつき一二八万九二四一円、その余の原告らにつき八五万九四九四円となる。

(三)  原告らの慰藉料

本件事故により原告とよは夫を、その余の原告らは父を失い多大の精神的苦痛を蒙ったと認められる。右各苦痛に対する慰藉料としては前示耕三の過失その他諸般の事情を考慮すると、原告とよにつき一〇〇円、その余の原告らにつき各四五万円をもって相当とする。

五、(結論)

以上により、原告らの本訴請求は、被告古口に対する、原告とよの請求中二二八万九二四一円、千鶴子、同由美子、同健の請求中各一三〇万九四九四円および右各金員に対する本件訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四一年一二月二九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、被告加藤、同会社に対する原告らの請求は全部理由がないからこれを棄却し、訴訟費用については民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言については同法第一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 倉田卓次 裁判官 荒井真治 原田和徳)

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